ロジャーズの ひとりごと

境界線(19)
仕事や結婚で独立して暮らしていたとしても、家族との適切なバウンダリーが引けていないと、罪悪感をもつことなく自分の人生を自由に選択することができません。そのたびに苦しくなったり、落ち込んだり、体調が悪くなってしまうことにもなります。「誰か他の人の為に生きているのではなく、自分の為に生きている」ことは誰しもがわかっていることでありながら、それができていないと思っている人は多いのではないでしょうか。 表向きは自分で選択してきたようにみえても、結果として心の内に罪悪感・不自由が見え隠れしているのであれば、それは自分で選択したことにはなりません。
境界線(18)
今回は、自分の内側の境界線(以下バウンダリー)についてのお話です。 相手との間に引くバウンダリーではなく、自分の内側に引くバウンダリーです。 イギリスの小説家ヴァージニア・ウルフは「時が人の顔つきを変えるように、習慣は人生の容相(様相)を次第に変えていく。そして本人はそのことに気づかない」と日記に記しています。 日々私たちは自分で小さな選択をしながら生活をしています。一日一日の生活の流れを人生とするなら、習慣となる日々のひとつひとつの選択の積み重ねはおろそかにはできないものです。

境界線(17)
適切な境界線(以下バウンダリー)を引くことをためらう時に、よくある思い込みについての8つのお話です。今回は前月に続いて後半の4つをお話します。 バウンダリーを引き始めた時怒りの感情が湧くことがありますが、バウンダリーが怒りを抱かせるわけではありません。些細なことで感情を害し、神経質になったように感じます。また周りの人たちから「優しくて親切な人ではなくなった」と言われることがあるかもしれません。そういったことから動揺してしまいます。
境界線(16)
適切な境界線(以下バウンダリー)を引くことをためらう時に、よくある思い込みについての8つの話です。今回は前半4つをお話します。 バウンダリーを引くことは相手よりも自分を優先するような自己中心的なことではありません。適切なバウンダリーがあってこそ、相手のバウンダリーを尊重した相手の立場に立った行動ができます。自分勝手なこととは、自分の行動が相手にとって良いことなのかを考えずに、ただこうしてあげたいという自分の気持ちや思いにこだわって、解決してあげたいと行動してしまうことです。 相手が望むことと、ほんとうに相手にとって必要なこととは違う場合があります。

境界線(15)
問題のある不健康な家庭では、子どもは安心できず常に緊張したストレスフルな中で生活することになります。個人差がありますが大体6歳くらいまでの子どもの特性に「幼児期の自己中心性」があります。まだ家庭の事情を客観的な視点に立った見方ができず、家庭内で起こっている問題は自分のせいだと思ってしまいます。その為、家庭の中で起こっている問題を「自分が何とかしないと」と背負い込むことになります。おとなの問題で起こっている家庭の不和を子どもが背負えるわけではないですし、背負う必要もないのですが、家庭を壊すまいと必死に守ろうとします。
境界線 (14)
前回の「妬み」・「行動」の法則に続いて、今回は十ある法則の内の十番目「開示」の法則です。 バウンダリーを引くことには、あなたがあなたであることを相手に示す役割があります。 バウンダリーを機能させるには、あなたのバウンダリーを相手に知らせる必要があります。それにはあなたのことを相手に率直に言葉で伝え、自分について明らかにします。言葉で伝えることはとても重要なことです。心を通わせようとお互いを理解するためには、バウンダリーの開示が必要不可欠です。

境界線(13)
前回の「評価」・「主体性」の法則に続いて、今回は「妬み」・「行動」の法則です。人生を生きる時の心構えについてのお話です。 「妬み」は最も厄介な感情かもしれません。人は人と比べてしまうものですが極端に人と比較していると、人にも自分自身に対してもとても厄介な存在になるのではないでしょうか。「妬み」は人生で人の足を引っ張り、自分で自分の足をひっぱってしまいます。何故なら、自分ばかりが…、自分は運が悪い…などと思い込んで人を妬んでいるからです。逆にあなたのことを妬む人が周りにいると良い影響は受けません。
境界線(12)
前回の「尊重」・「動機」の法則に続いて、今回は「評価」・「主体性」の法則です。 自分に、そして相手に向き合うことのたいせつさについてのお話です。 すべての人は大なり小なり心に傷を抱えて生きています。大きなものはトラウマと呼ばれています。傷があることで生きづらさを感じていたり、人間関係でうまくいかなかったり、順調な時もあるけれど悩みがあり人生に差し障っている場合は、傷の大小にかかわらずトラウマと呼べるのかもしれません。

境界線(11)
タイトル境界線⑼から「境界線(以下バウンダリー)の十の法則」として「人生を考える時の基礎となる原則」を紹介しています。 前回の「責任」・「力」の法則に続いて、今回は「尊重」・「動機」の法則です。 愛することと、怖れについてのお話です。 相手を愛し尊重するなら、相手にかける問いは「私ならこうする。相手は私がしてほしいと思うことをしてくれているだろうか?」ではなく、「相手は自分の意思で自由に選択し、行動しているだろうか?」です。
境界線(10)
愛するとは、問題が起こった時に、お互いに相手になり代わって行動することではありません。 相手の立場にたって気持ちを汲むこと、例えば相手の気持ちを察したり、思いやったり、相手に寄り添うことはできても、相手の気持ちを感じることはできません。 相手に変わって考えること、相手に変わって行動することもできません。 起こった問題を乗り越えていくことは人が成熟する機会になります。相手になり代わって行動することは、相手の成熟を阻むことになってしまいます。それを邪魔しないことこそが、自分の責任であり、相手を愛することなのかもしれません。

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