プロフィール

はじめまして。

「こころのまいはうす」のホームページをご覧くださり、ありがとうございます。

カウンセラーの自己紹介です。

カウンセラー

野々口 十紀子 ノノグチ トキコ


1958.10.28生まれ

京都市中京区で婚外子として生まれ、花柳界で育つ。ひとりっ子

 


長男・二男あり。離婚。長年のカウンセリングの学びを生かして、定年後「こころのまいはうす」を開設。


趣 味 美術館巡り、寺社巡り
マイブーム

LINEゲーム「ツムツム」9年目

新ツムはすぐにゲットし、常に全ツム持っている

好きな歌手

加藤登紀子、倉木麻衣

好きな作家 遠藤周作、吉本ばなな
勉強したこと
  • 公益財団法人 関西カウンセリングセンター 認定心理士
  • ひきこもり支援相談士 地区統括代表会員 認定
  • SNS LINE相談員(自治体)
  • ゲートキーパー
  • 中学校・高校 社会科教員免許

プロローグ

6歳の頃、母に「何故私の家にはお父さんがいないの?」と詰め寄ったことがありました。「○○さんの家にもいない」とそれが特別な事ではないかのように、言いくるめられた記憶があります。私は母の答えに全然納得できませんでした。
その時、生まれ落ちた境遇は選べないけど、その他のことは、「自分で選ぶ!」と思ったものでした。

 

それから50年以上の時が経ちおとなになって受けたカウンセリングで、カウンセラーから最初に発せられた言葉は「子ども時代がなかったですね」でした。私は「いいえ。そんなことはありません。随分やんちゃでした」と言いました。「そうではありません。あったとしても随分短いです」とカウンセラーから更に言葉が返ってきました。その時受けたカウンセリングも終結(一定の目標に達して終了すること)した今となっては、私には子ども時代がなかったことがよくわかります。


いろんなマイノリティに生まれた私には「それだけで精一杯なのに、これ以上他のことで足を引っ張られたくない」という気持ちが強かったのです。幼いながらに自分のこれからのことは自分で決めるとこころに誓った私でしたが、その後の人生でそうはなりませんでした。

エピソードⅠ

幼稚園・小学校低学年

刀や二丁拳銃が好きな、「小型トランジスターラジオ」と言われるほどよく話す活発で、やんちゃな男の子みたいな子どもでした。
違和感があり、「女の子ではないようだ」と自覚していて、この頃からセクシャルマイノリティであること、それは隠さないといけないことだという意識が芽生えていました。

小学校高学年から中学校

友人に恵まれながらも、こころの内を見られたくないために、友人たちを遠ざけていました。自分の殻に閉じこもり、暗い気持ちで生きていて、まるでさなぎのような思春期を過ごしていました。当時の写真を見ると、信じられないくらい暗い表情の自分がいます。


婚外子であること、セクシャルマイノリティであることが影響していたと思います。

自分が何者なのかが分からず、セクシャルマイノリティについての情報を求めますが、昭和40年代はネットもない時代、小説の中にセクシャルマイノリティの主人公が出てくるくらいでした。書店で小説の中に自分と同じような人はいないかと、探し求める日々が続きました。少しの情報を探し求めていたのです。情報が少ないことで、余計に孤独感が募り苦しくなりました。

高校時代

私立女子高に入学。女子パワーにちょっと引き気味。小学校・中学校の友人のありがたみが身に染みてわかりました。友達って作ろうとしてできるものではないのです。

 

ひたすら自分を隠しての地味な高校生活。卒業した時、全校生徒数1千人以上の女子校で、恋する人に出会わなかったことにほっとしていた自分がいました。ごく少数の友人との交流で平穏な高校生活だったともいえます。
ただ家の中は平穏ではなく、家族のこころがささくれ立っていた時期でした。

大学時代

心理学部を受験しましたが、願いは叶わずすぐに断念してしまいます。
史学科へ入学。考古学研究会に在籍し、発掘に明け暮れる毎日の学生時代でした。


恋をしても、その気持ちは「自分の中でだけ自由なんだ」と自分に言い聞かせていました。苦しみ、のたうち回った苦しい時期でもあります。

大学卒業後

家業を手伝いながら、地元の中小企業に就職。


数年間にいろいろなことがあり、家族からの「結婚はするもの」という母からのあからさまな言葉や無言の圧迫感を感じて、一大決心の末に結婚すると決断します。結婚したら自分は変われると信じていました。「これで苦しまなくてすむ」とも。

エピソードⅡ

その後見合い結婚。長男と二男を授かり、仕事と子育てに幸せな日々を過ごしていました。

 

子育ての真っ最中に体調を崩して動けなくなりました。体調は2年程で回復しましたが、倒れたのをきっかけに自分の人生に対して、今まで以上により一層向きあわざるをえない状況になっていきました。人生に向きあう以前に、自分と向きあうことが自分に突き付けられたといった方が正しいかもしれません。


ただ自分に真剣に向きあおうとした時、火山の火口に近づくようで、自分のこころを見に行くのがとても怖いと思ってしまいました。
自分に向きあうのに、寄り添ってもらう役目としてカウンセラーを求めました。その時のカウンセリングは、自分のこころと向き合っていくことがどういうことかということを教えてくれました。

 

自分のこころをみつめていったことで、その時のカウンセリングが人生のターニングポイントとなり、真の自分の人生の本番が始まることになりました。
そして、離婚に至ります。

エピソードⅢ

2007年とても身近な人がこころの病になったのをきっかけに、本格的に心理学の勉強をスタート。以来「現実を動かす、気づきのカウンセリング」を模索してきました。


2014年に、カウンセリングルーム開設を視野にいれ、自己実現をテーマに再びカウンセリングを受けました。

 

自分のことを全部話そうと決めてカウンセリングに臨みました。そこで語る子どもの頃の体験を新しい体験として再体験し、別な角度から見つめていくことで、自分の気持ちが解放されていったのでしょうか。抱えていた当時の思い(無意識に選択の基準となっていた思い)にも変化が起き、気づきがありました。

 

結果として、社交不安障がいと言われている「赤面症」が起きなくなり、職場でも、今まで苦手だった場面での私の内面に変化が起こりました。「アッ、あの嫌な気持ちがなくなっている」と実感したのが先でした。

エピソードⅣ

2017年中小企業、大企業と転職しながらも、事務職で30年以上勤めてきた会社人生から引退しました。

 

ふり返ってみると、カウンセリングは私にはなくてはならないものでした。
今の私は、ありのままの自分で、何にもとらわれることのない自由なこころで、本心から自信をもって、自分の人生の選択をすることができるようになりました。

 

私がカウンセリングで得たものを、多くの人に実感してもらいたい、
すべての人に「これでよし!!」と思える人生を歩いていってほしいとの願いから、

「こころのまいはうす」を開設致しました。