タイトル境界線⑼から「境界線(以下バウンダリー)の十の法則」として「人生を考える時の基礎となる原則」を紹介しています。
前回の「責任」・「力」の法則に続いて、今回は「尊重」・「動機」の法則です。
愛することと、怖れについてのお話です。
「尊重の法則」
相手にバウンダリーを尊重されない時、たいせつにされていないと感じることが多々あります。それ故に相手にバウンダリーを尊重されないことを怖れます。例えば本音を話せば相手に無視されるかもしれないからと、本音を言わずに相手の意見に合わせてしまうなどです。自分が「ノー」や「嫌だ」と伝えると相手に受け入れられない、嫌われるかもしれないと思うのです。
また、尊重されないことを怖れるばかりに相手のバウンダリーを裁いてしまうことがあります。
例えば相手に頼み事をして断られた時、相手の事情を考える間もなく、いつも相談にのっているのだから頼み事のひとつくらい聞いてくれて当然ではないかとイライラしてしまうなどです。自分がしてほしいことを相手はすべきだと思うのです。
このように怖れがあると、バウンダリーを引くことが不安になります。
結局相手に合わせているつもりでしたことには無理があり、後で恨みや憎しみに変わったりすることさえあり、相手に対してしたことが後味の悪いものになってしまいます。
お互いに「ノー」と言えること、そしてお互いに「ノー」と言った相手を受け入れることがたいせつです。
相手にかける問いは
相手を愛し尊重するなら、相手にかける問いは「私ならこうする。相手は私がしてほしいと思うことをしてくれているだろうか?」ではなく、「相手は自分の意思で自由に選択し、行動しているだろうか?」です。
お互いに尊重するなら、お互いの自由な選択を受け入れているなら『自分が「ノー」や「嫌だ」と伝えると相手に受け入れられない、嫌われるかもしれない』 『いつも相談にのっているのだから、頼み事のひとつくらい聞いてくれて当然ではないか』とはなりません。
相手の自由な選択を受け入れるなら、バウンダリーを引いたからといって怒りがわいてきたり、罪悪感が生じたり、愛せなくなったりはしません。
相手の選択の自由を受け入れる時、自分の選択の自由も受け入れられます。
怖れは怖れを生み出し、自由は自由を生み出します。
「動機の法則」
周りの人にしていることであなたの心によろこびがないなら、何故それをしているのかに目を向けてみる必要があります。どのような動機でしていることなのかと。
例えば
「相手のために良いように思いやりをもって行動することが愛だと思って、人にいろいろしてきたけど感謝されることが少なかった気がする。相手に頼まれたこと、相手が求めているだろうことを一所懸命してきたけど、疲労が溜まりに溜まってとうとう心が苦しくなってしまった」という人がいたとしたら、ひどい場合には「心身が不調になった」という人がいたとしたら、その人たちは相手を愛しすぎたのでしょうか、愛ある人なのでしょうか。
愛することには、愛しすぎるということはありません。
疲れが溜まりに溜まることもありません。
相手も自分も苦しくなったりもしません。
愛するなら相手の心にも自分の心にも、よろこびがもたらされるはずだからです。
愛する心はもっと自由で伸び伸びとしたものです。
怖れに気づく
何故よろこびがないのでしょうか。
行動のベースに怖れがあることに気づく必要があります。
人にはどのような怖れがあるのでしょうか。
相手にノーと言えば、相手の意に添わなければ、どうなると怖れて行動しているのでしょうか。
自分と向き合い、問いかけるしかありません。
① 愛を失うこと、見捨てられることへの怖れ
愛を失うことを怖れている人にありがちなのが、「はい」と相手に伝えた後で「やっぱり…」と後悔してしまうことです。
② 相手からの怒りへの怖れ
③ 孤独になることへの怖れ
④ 愛ある自分でなくなることへの怖れ
⑤ 善い行いをしないことに罪悪感を持つことへの怖れ
⑥ 自分が受けたものに対して、お返しをしないことへの怖れ
⑦ 相手から認められないことへの怖れ
⑧ 相手を失望させることへの怖れ
自分の心の自由やよろこびを守るためにも適切なバウンダリーを引くことがたいせつです。
怖れるなら、よろこびがないなら、それは愛する心から選択したことではないのかもしれません。
参考文献 「境界線」 ヘンリー・クラウド、ジョン・タウンゼント著
次回「境界線(12)」に続きます。