言葉

私のこれまでの人生を支えてきたもののひとつに、人にかけられた言葉があります。また家族から教えられた形見のような、財産のような言葉もあります。そしてそれらの言葉は、私にとても大きな影響を及ぼしています。人からかけられた言葉に救われ、守られてきた気がします。それらの言葉は長々と話された言葉ではなく、ひと言といってもいいくらいです。ある時は何も言われないことで言葉以上の思いが伝わってきたこともあります。

逆にかけられたくなかった多くの言葉もありました。その時の私に沿わない言葉だったのです。言葉自体は状況にふさわしくても、共感されたと実感できなかったのでしょう。中には月日が経って思い返すと、ありがたい言葉だったのかもしれないとあらためて思うこともあります。

『相手にかけられた言葉通りにはしなくてもいいから、何でも聞いておいて心にしまっておくことが賢いこと』とも何人かの人に教えられました。若い時に理解できなくても後になって役立つこともあるので、心の引き出しにしまっておくようにということだったのでしょう。

生きた言葉

震災などで被災した方が『「大丈夫ですか?」は余計つらいこと、それなら「大変でしたね」とか「大変な目に遭われましたね」とかけてほしい』と言われているのを聞きました。人によって状況によって、かけてほしい言葉は違います。「大丈夫ですか?」、「大丈夫?」と声をかける機会は多いと思います。人にかける言葉は、たかがひと言ですが、されどひと言です。

テレビドラマの一場面、ある服のメーカーの社長が被災した子どもに「寒かったね。もう大丈夫だ」と言葉をかけながら、そっと子どもに上着を掛ける場面がありました。その子どもはおとなになってあの時のような「暖かくて、やわらかくて、信じられないくらい活力が湧いた服を作りたい」と服を作る仕事に就きます。このように言葉は、人の思いは人生を左右するものです。

脳内会話

一日の内で最も会話をしている相手は、自分だと言われています。思考し、頭の中で無意識に脳内会話(セルフトーク)をしたり、呟やいたりしています。その回数は、何千回、何万回にもなるそうです。多い人だと五万回とも言われています。自分が意識している以上に、自分と会話をしているのではないでしょうか。

おまけに無意識は「私」、「あなた」といった主語が理解できません。例えば「あの人は、ほんとに嫌なことを言う人だ」と他人に対して脳内会話をしても「ほんとに嫌なことを言う人だ」と自分に返ってきています。これを繰り返していると自己暗示ではないですが、極端に言うと、自分がなりたくない嫌なことを言う人になってしまうということもあり得ます。

言葉遣いは人柄

若い頃「いい人と付き合った方がいい」と言われた時には、そんな友人を選別するようなことをと思って抵抗がありましたが、年齢を経た今は「ほんとにその通りだ」と実感しています。今の人間関係を見渡してみると、年齢に関係なくこの人に学ぶところがあるなと思う人と、そうでない人の違いは、会話で遣っている言葉が違うことと、言葉に責任を持っているかどうかに気づきます。

仕事ではつき合う人を選べないかもしれませんが、プライベートではどんな人と付き合うかを選べます。おつきあいする人で、人生が変わってくるといっても過言ではありません。ことわざの「類は友を呼ぶ」や「朱に交われば赤くなる」は本当の所です。言葉選びは慎重にしたいと思います。