あなたは、これまでの人生で「生れてきた意味」は何だろうか、何か「生れてきた役目」があるのではないかと考えてみたことがありますか?
私は「生れてきた意味」は幸せになること、「生れてきた役目」はないと思っています。
暗い影を落とした出来事
私が5歳の時、祖母と病院へ祖母の友人のお見舞いに行った時のこと、病室へ向かう廊下で祖母が「これからお見舞いに行く人は、もうすぐ亡くなる」と耳打ちしました。後のことは記憶にありませんが、その病院の廊下の情景は心に焼きついています。それから間もなく幼稚園の帰りに、お見舞いに行った方のお葬式に参列しました。私がお焼香する時の情景だけが記憶に残っています。
私が小学校に入学してすぐのことです。商売で忙しかった母の手助けにと、毎日食事を作りに通ってくれていた祖母の弟(以下おじさん)が胃がんの末期で、自宅療養していたので祖母とお見舞いに行きました。お布団に横になっていたおじさんが「〇〇か」と私に声をかけてくれました。でもその名前は家に毎日のように遊びに来ていた友達の名前でした。私は変わり果てたおじさんの姿と、私の名前ではなく友達の名前を呼んだことにショックを受けました。お葬式のことは憶えていませんが、亡くなったおじさんが火葬場の炉に入って行き「ではさようなら」という声とともにガチャンと炉の扉が閉められる音、そしてその後に突然上の方から私の名前を呼ぶおじさんの声にびっくりして、火葬場の外に出て見上げた空、このふたつは鮮明に憶えています。
これらの出来事は、私の心に色濃く影を落としました。
囚われた心
それからしばらくは何も思い出すこともなく過ごしていました。
思春期になって、幼少期、学童期の出来事によってつくられた心の陰から「死ぬこと」について考えや感情がむくむくと湧きだってきました。私にとっては考えても仕方がないこととは思えませんでした。
生れてきたことは、必ず死ぬこと。
生きている私は必ず死ぬ…
そう自覚して、「死ぬってどうなってしまうことなのだろう」「自分が無になってしまう」「無くなってしまう」といった恐怖や不安に心が囚われてしまいました。常にその思いがつきまとってくるので、一時は死んでみたら「死」を体験したら、恐怖や不安から逃れられるのではないかと考えたりもしました。死の恐怖は、周りの人たちともう会えなくなってしまうことからという人もいますが、その時の私の恐怖というのは自分という存在が飲み込まれてしまうような恐怖でした。
心の陰
体験したことがない死をどう受け止めていいのかわかりませんでした。まだネット社会からほど遠かった当時は、宗教関連のパンフレットなどが電柱などに掛かっていたのですが、読んでみてもそこに答えはありませんでした。
お坊さんが「人は皆亡くなったら極楽浄土へ行く」と話されるのを聞いて、死んだ先には死後の世界があると信じることで少しの安心を得られても、それが私の恐怖を解消する答えにはなりませんでした。小学校一年の時に亡くなったおじさんが火葬された時に私を呼ぶ声をはっきりと聞いた不思議な出来事もありましたが、それでも死後の世界があることを信じきることはなかったのです。私には、何かを信じることで恐怖や不安を乗り越えることはできませんでした。
飲み込まれるような恐怖はなくなったものの、一度心に根差した心の陰は、成人して社会人になっても、結婚しても、30歳も半ばを過ぎるくらいまでは、心の片隅にはほんの少しの死への恐怖や不安があったようです。というのも時々ふとした拍子に暗い影が顔を出すことがありました。
囚われからの解放
それから随分時を経て、現実社会を一所懸命に精いっぱい生きるうちに、「死ぬことへの覚悟」と「生き抜くことの覚悟」ができて、そして「生れてきた意味」は幸せに向かうこと、そのために「よりよく生きる」ことだと腑に落ちた時、死の恐怖や不安に囚われていた自分を解放することができました。現実から離れてしまって生きている実感をもてずに、心の中や頭の中だけで生きてしまうと人はおかしくなるのかもしれません。
今振り返って思うことは、子どもの時の記憶が正確かどうかはわかりませんが、それがその子どもにとっての事実になります。祖母には見せてもらってよかったものと、見せてもらわなかった方がよかったものとがありました。現代は核家族で「死」に接することが少ないと言われていますが、幼少期や学童期に現実を見せられてあまりに怖いと思う出来事があると、心に深い陰を残すことがあるかもしれません。例えば幼少期は亡くなった方と対面することがあって、記憶に残るとしても(亡くなった方は)「寝てるね」と思うくらいの記憶がいいと思います。それには家族(養育者)や周りの人の配慮が必要です。
次月のロジャーズのひとりごと「生れてきた意味」➁に続きます。