境界線(9)

適切な境界線(以下バウンダリー)を引く時に、良心のある人ほど「ためらう」ことがあります。自己中心的な考えではないか、わがままではないか、協調性がないのではないかなどと迷ってしまいます。

 

そんな時に「人生を考える時の基礎となる原則」があることを知っておくと、適切なバウンダリーを引くのに役立ちます。「バウンダリーの法則」として紹介していきます。

①種まきと刈り取りの法則

「自分が蒔いた種は自分で刈り取る」というバウンダリーの基本となる法則です。

例えば、社会で生活していくにはお金が必要です。自分の収入に対して支出の方が多いと、足りない分を働いて稼がないと生活に支障をきたします。「自分が蒔いた種」=収入以上のお金を使う、「自分で刈り取る」=足りない分を働いて稼ぐとなります。

収入以上のお金を使ってしまい「お金がなくなって生活できない」と嘆いている人に同情するのは見当違いです。この人の困りごとは罰を受けたのではなく成り行きです。

ところが自分が蒔いた種を責任をもって刈り取る前に、他の誰かが刈り取ってしまう場合があります。バウンダリーを持たない人が、バウンダリーを持たない無責任な人をわざわざ助け出してしまいます。そうしたからといって「自分が蒔いた種は、自分で刈り取らなくてもよい」ということになるわけではありません。刈り取らなかった人や助け出した人よりも苦しむのは、そのことによって悪影響を受けざるを得なかった周りの人たちです。無責任な相手を繰り返し助けてしまう人のことを「共依存者」といいます。「自分が蒔いた種を自分で刈り取る」ことができずにいる人は、共依存者がいる限りいつまでも何の責任も負うことなく、何もまだ学んでいない子どものように身勝手な振舞いを繰り返し続けます。そうして周りに苦しみを与え続けます。

 

共依存者がいくら無責任な相手に注意しても、共依存者の存在がある限り相手は何も変わりません。適切なバウンダリーを引くことで、無責任な相手の「種まきと刈り取りの法則」の邪魔をすることをやめるだけで現実は変わります。

共依存

たとえ話です。

あるお金使いの荒い青年がいました。親にろくでもない息子と言われながらも、給料分ではお金が足りなくなるたびに親は息子にお金を渡していました。息子は結婚して女の子と男の子を授かりました。子どもを育てる責任のある立場になっても、得る収入以上のお金を使うことには変わりはありませんでした。いつも家計が苦しいのはいうまでもありません。親亡き後は妻が夫の借金を返済します。夫が作った借金を返済するために、妻は休むことなく夫以上に必死で働き続けます。そんな家庭の事情から、子どもの時から姉は家事や弟の世話をして、近所でも評判になるほどお母さんを助けていました。最初に勤めた会社を退職した夫には、給料の前借りが多く退職金もありませんでした。学業がよくできた子どもたちは国公立の大学への進学を希望しますが、残念ながらストレートでの受験に失敗してしまいます。大学進学はあきらめざるを得ませんでした。受験の失敗や姉が結婚で家を出ていくことなどの環境の変化もあり、弟は心を病んでしまって長期間の引きこもりになります。夫はその後再就職した会社でも使い込み、最終的にはとうとう家までとられてしまいます。夫は亡くなるまでお金使いの荒い人のままでした。

夫はどれほどお金を使ったのでしょうか。大きな家が建つくらいです。

妻は、夫が何にお金を使っているのかということには無頓着でした。妻曰く、夫は困りごとを抱えた若い人を放っておけず助けようとする優しい人だそうです。夫は子どもに人生が変わってしまうような苦労をかけてまで、人助けにお金を使ったのでしょうか。

夫が亡くなってからは借金の苦労はなくなりました。やっと穏やかな日々が送れるようになったはずです。

 

ところが妻は不満でいっぱいです。妻は「ひとりになったのに娘が気にかけてくれない」と嘆きます。「同居の息子がお金を貯めてばかりで最低限の生活費しか入れない」と嘆きます。姉が「自分が選んだことでしょ」と責任はあなたにあると言われて、一度も助けてくれなかったことを薄情だと嘆きます。「結局私は一生自分をなくして生きる運命なのだ」と、絶望的な気持ちで日々過ごしています。

このようなたとえ話で示される話はよくあります。

妻が適切なバウンダリーを引かないまま、足りない分を自分の稼ぎで穴埋めし続け、一方夫はバウンダリーを持たず妻に甘やかし続けられます。夫婦ともに相手を思うこと、愛情をかけることがどういうことかに気づかないままでした。人として成熟できないままなので、子どもがどれほど苦しんだかには考えが及びません。

 

妻もまたお姉さんが言われるように「自分が選んだ道」だということ、夫を助けることを選んだのは自分が蒔いた種であることに気づかないので、「自分が蒔いた種を自分で刈り取る」という責任を果たせません。

子どもは自分が思ったようには育たず、育てたように育ちました。自分の思うような人生にはならず、自分が選んだ人生になっただけのことです。

どんな人生を選ぼうと人の自由です。ただ自分が選んだという自覚がないと、周りが悪いのだと不平不満が募ります。周りへの感謝はもてないことでしょう。

相手がいなくなっても、自分の選んだ人生や自分からは逃げられないことをこの妻の嘆きが物語っています。

参考文献 「境界線」 ヘンリー・クラウド、ジョン・タウンゼント著

 

次回「境界線⑽」に続きます。