境界線(7)

バウンダリーの混乱

人間関係に必要な要素は、お互いに相手を尊重すること・信頼すること・愛情をかけることです。心の境界線(以下バウンダリー)の問題がある状態は、三つの必要な要素が欠けてしまっています。

バウンダリーに問題がある人というと、自分でバウンダリーを引けていない人と捉えられがちですが、相手のバウンダリーを尊重できない人もまたバウンダリーに問題があります。「いいえ」、「NO」と言えない人だけがバウンダリーの問題を抱えているわけではありません。バウンダリーに問題がある人はいくつかのパターンに分けられます。

1.迎合的なパターン

バウンダリーが曖昧なために、相手によって支配されてしまいます。

「いいえ」と言えず、悪いことに対しても「はい」と言ってしまいます。

下記のような「恐れ」があるので「いいえ」と言えません。恐れに背く行動をとると更に罪悪感を募らせることになりかねないからです。

・相手を傷つけることへの恐れ。

・相手の怒りに対する恐れ。

・相手を見捨てることになるのではないかという恐れ。

・いい人と思われないのではないかという恐れ。

・良心がとがめてそれに背くことが怖い。

 

などです。

自分の選択によるものではなく、恐れがあるが故にバウンダリーを設定することが苦手で曖昧なままなので、結果的に責任ばかりを負うことになってしまいます。「はい」と言った後で理不尽さに怒りを覚えることもありますが、その時にも結局は自分が悪いのではないかと思って罪悪感の方へと傾いたままです。

相手の要求や行動に合わせているうちに自分が何を求めているのかもわからなくなり、相手に依存してしまうことにもなります。

 

例えば家庭の中で「いいえ」を言うことが許されない教育を受けた場合は、一生涯のデメリットとなります。社会に出て、自分の身を守るために「いいえ」を言えることはとても重要です。

2.回避的なパターン

相手から助けを受けることに対してバウンダリーを引いてしまいます。

「はい」を受け入れません。自分にとって良いことに対して、必要なことに対して「いいえ」と言ってしまいます。

自分の問題や支援を求めることを悪いこと、恥ずかしいことと思っているからです。

弱みをみせることができません。弱みを見せることをどこかで人につけ込まれるように思っていたり、自分の権利を主張することをわがままだと思い込んでいます。頑ななまでに支援を求めません。決して自分のことを話さないわけではありませんが、相手からの支援の申し出に対しても身を引いてしまい「いいえ」と言ってしまいます。問題を不必要に自分で抱え込んでしまうことになります。良いものも入ることのできない塀のようなバウンダリーを引いています。

 

例えば自分の身に起こったことを家族に相談した時に、話したばかりに却って事が大きくなり、解決ではない方向へ向かうことになったといった経験があるのかもしれません。

3.支配的なパターン

相手のバウンダリーを侵してしまいます。相手が「いいえ」と言うのを受け入れません。相手のバウンダリーを尊重せずに我を押し通します。相手に「いいえ」と言われると、相手の気持ちを変えようとします。自分が取るべき責任までも相手に取らせようと押し付けてしまうことは問題です。そういったことを背負ってくれる人を探しています。

支配的な人には2パターンあります。

・強引な支配者パターン

相手にもバウンダリーがあるとは思っていません。相手の「いいえ」がない「はい」だけの世界にいるようです。自分の思い通りに我を通して合わさせるように相手を変えようとします。相手のありのままを受け入れるということなど考えてもみません。言葉の暴力や虐待をすることもあります。

・操作的な支配者パターン

相手のバウンダリーを無視して自分の思い通りにするために、巧みに状況を操作して相手に「はい」と言わせるように仕向けます。自分にある責任をとらせようと相手をけしかけるようなやり方をします。自己中心的であることを認めません。

支配的なパターンの人は、バウンダリーの侵害を受けてきた人であり、自分もまた人を支配しようとする可能性は高いです。ある時は強引な支配者で、ある時は操作的支配者というようにタイプではっきりと分かれているわけではありません。支配的であることに変わりはなく、罪悪感を植えつけるようなやり方で人を自分の思うように支配しようとします。

4.無反応なパターン

自分の責任に対して適切でないバウンダリーを引いてしまいます。自分に責任のあることに対して「はい」と言えずに対応しようとしません。

相手が求めていることにも、話しを聞いても受け流したり、無視したりしてしまいます。

例えば妻が夫に思いきって子育ての不安など悩みを打ち明けた時に、夫が「うまくいかないなら自分の考え方ややり方を変えればいい。みんなそうして生きている」などと言って、妻の話に寄り添うことも理解しようとすることもなかったとしたら、ただ話の分からない人、無神経な人、相談にならないというだけのことではありません。

このような例はよくある話なのかもしれませんが、バウンダリーの問題です。バウンダリーは何に対して責任があるか、自分の責任の範囲はどこまでかを示すものでもあります。自分の気持ちを表現する、状況に応じて現実的な問題を解決できる、社会の中で人と良い関係を築けるなどの相手の「感情的な健康」や「体の健康」については責任がありませんが、愛情のある夫として妻と心を通わせようとしないとしたら、夫は妻への責任を怠っていることになります。

 

あなたの人間関係がこのようなパターンに陥っていませんか?

 

 

どのバターンにしても、お互いに心の通ったよい人間関係を築くことが、なかなか難しいことは確かです。

参考文献 ネドラ・グローバー・タワブ著 「心の境界線」

 

「バウンダリーの混乱のパターン」について、次回「境界線⑻」に続きます。