コロナの時に㉒自分に向き合う

「私は何のためにこの世に生まれてきたのだろうか?」

「私が生まれてきたのは、この世で果たす何か役割があるのかもしれない」など

 考えたことがある人は多いのではないでしょうか。

 

この問いに対する私の答えは「生きていく中で自分が成長し、より幸せに生きる」ということです。

そこに生まれてきた意味があり、それが役割だと思っています。

私は、ある時期「成長する」ということばに抵抗を感じていたことがありました。

「成長するってどこまで成長すればいいのか」と。

そう思っていた頃の私は、何かにつけて完璧を求めていたのだと思います。

そもそも完璧な自分や完璧な人生はないと気づいた時「成長したい、より良い人生を生きたい」と素直に思うようになりました。

自分を愛する

 

では成長し、より幸せな人生に向かうにはどうすればよいのでしょうか。

 

それはありのままの自分を愛することだと思います。

自分を愛するとは、ありのままの自分を受け入れ、本心で生きているということです。

 

ありのままの自分を知るには、自分に向き合うしかありません。

 

自分に向き合うとは、自分をまるごと知ってどんな自分も受け入れていくことです。

自分に向き合う

自分に向き合っていく中で、自分の良いところも、自分の嫌なところも知ります。

人によっては見たくない、認めがたい、受け入れがたいところも知ることになります。

自分に向き合う前には、思ってもみなかった良いところにも、嫌なところにも気づくかもしれません。誰しも自分の嫌なところと向き合うことには抵抗があるのかもしれませんが、それを知ることなしに自分と向き合うことはできません。

 

 

今の自分に起こっていることを通して、丁寧に自分に向き合っていきます。

例えば、生活に支障が出るほど、時には身体の不調を感じつつも仕事を頑張ってしまう人がいたとします。

ずうっと頑張って生きてきたので、頑張り過ぎていることにも気づいていないかもしれません。また気づいていたとしても、頑張り過ぎることをやめることが難しくなっているのかもしれません。

限度を超えてしまうと当然健康を損ねます。頑張っている上に、更にうまく乗り越えられないような出来事が起こると病気になりかねません。限界を越えてしまったのです。

 

では、周りの人が異常に気付いて休むことを勧めて、無理にでも休めていたとしたら問題は解決したことになるのでしょうか。そうではありません。限界を越えなかっただけで、また何度も同じような状況がその頑張り過ぎた人にめぐってきます。

自分の中にあるもの

その人は

何故頑張り過ぎてしまうのでしょうか?

頑張り過ぎる根底には、何があるのでしょうか?

 

解決するのは、その根底にあるものです。

そこまで頑張らないと人に認めてもらえないと思っているから、駆り立てられるように頑張ってしまうのでしょうか?

自分は完璧でないから頑張ることで完璧になろうとしているのでしょうか?

そうしないと自分の価値を認められないし、人にも認められないと思っているのでしょうか?

その根底には自分をたいせつにして、愛することができない何かがあります。

 

それが何なのか、その答えは自分の中にあります。

人生の舵を握る

自分に向き合うことは難しいことなのかもしれません。

勇気をもって覚悟しなければできないことです。

勇気をもって覚悟することが、あなたがあなたの人生の舵を握るということだと思います。