― ラインホールド・ニーバーの祈り ― (渡辺和子シスター訳)
「主よ、
変えられないものを受け入れる心の静けさと、
変えられるものを変える勇気と、
その両者を見分ける英知を
我に与え給え」
アメリカの神学者で倫理学者でもある、ラインホールド・ニーバーの「平安の祈り」の一節です。この祈りには、幸せになる知恵が込められています。
変えられないものと変えられるもの
「変えられるのは自分だけ、自分以外の人は変えられない」とはよく言われていることですが、人には変えられないものと変えられるものがあります。
変えられないものとは、生まれた時に与えられた環境、顏や体、その人がその人であるという本質、過去に起きた出来事などです。自分で選択することができないものです。
変えられるものとは、物事の捉え方や考え方、行動といったものです。自分で選択ができるものです。
人によって状況等が違いますので、変えられないものと変えられるものは、一概にははっきりと区別できないところがあります。同じような状況でも、ある人にとっては変えるという選択が可能なことでも、別な人にとっては変えるという選択ができないこともあるでしょう。
心の静けさ
「変えられないものを受け入れる心の静けさ」について。
変えられないものが自分にとってありがたいと思えるものなら人はスッと受け入れられますが、中には到底ありがたいとは思えないものもあります。そんな時、人は「自分は運が悪い」などと否定的に捉えるものです。
どうしようもないものをどうにかして変えようとして人は苦しみます。思うようにならないと悩みます。楽に生きるには、変えられないもの、与えられたものや過去の出来事を主体的に受け入れることが必要ですが、心がざわついていては到底受け入れることはできません。あまりにも拘ったり、感謝がなかったり、人と比べたり、物事を悪いようにばかリ捉えたり、人のせいにばかりしたり、いいことには目がいかなかったりと苦しみの種が多く、心穏やかでない時には受け入れることは難しいでしょう。変えられないものを受け入れるには心の静けさが必要です。
変える勇気
「変えられるものを変える勇気」について。
変えられるものは自分といっても、物事の捉え方や考え方、行動といったものを大きく変えていくことは簡単なことではないのかもしれません。例え自分でどうすればいいかが分かっていて、変わりたい、変えたいと思っているとしても、今までの自分に馴染んできたやり方、習慣、癖になっていることを変えることに人は抵抗を感じるものです。例え変えることで人生が良い方向に向かうと思えたとしても、大きく変わることに怖れを感じるものです。
むしろ小さく変化しようとする方が、大きく変えようとするよりも自然なのかもしれません。
自分が変えたいと思ったことで、できそうなこと、無理なくできることから少しずつ変えていく。少しずつですが、思っているだけではなく行動にしていく。小さなことを変えていくことを重ねていくことで、変わっていくことが実感できます。きっと小さな変化があなたの人生にとって大きな変化につながることと思います。
見分ける英知
その両者を見分ける英知について。
当たり前のことですが、人は自分の人生を生きています。どんなに大事な人の人生も代わりに生きることはできません。この当たり前のことが近しい関係では意識しにくくなってしまうことがあります。
例えば子どもに何か問題行動が起こった時に、親ならばなんとかしないと…と、子育てが間違っていたのか…と悩みます。
子どもの問題行動に対して、親が力を入れて説得しようとしているうちは、話し合ってもなかなかうまくいかないのかもしれません。何故なら力説する時には、自分の方が正しいと思う親の気持ちが潜んでいるからです。「あなたの為を思って…」などと言いながら、子どもがどう思っているのかをほとんど知らないことに親は気づいていないことがあります。
そんなつもりはなくても子どもの本音を聞けずに一方的になってしまっている時には、子どもの言うことは耳に入りません。つまり対話にはならないのです。良好な人間関係は対話からです。その時にたいせつなのが誰の問題なのかという視点です。子どもの問題であれば、子どもに何が起こっていて、子どもはどうしたいのか、子ども自身がどんなふうに問題を解決しようとしているのかなどを知ることなく、問題を解決することが難しいのは当然です。親であれば、子どものことを我が事のように思うのが親心だとは思います。だからこそ、親にできることなのか親にできないことなのか、つまり親の問題か子どもの問題かを見極める知恵が必要です。
「変えられるのは自分だけ、自分以外の人は変えられない」のだとしたら、自分の問題か、自分以外の人の問題か、誰の問題かを見分ける視点は欠かせません。ほんとうの意味で変えられないものが何なのかがわかり、受け入れた時には相手を変えようとはしないものだと思います。
Amazonより引用
北風と太陽のおはなし
ところで、イソップ童話の「北風と太陽」のお話をご存知でしょうか。
「北風と太陽」のあらすじ
空の上で太陽と北風が遊んでいましたが、どちらが強いかと言い争いを始めてしまいます。そして、力比べをすることになりました。力比べの方法はというと、道を歩く旅人の服を脱がせた方の勝ちだというものです。
先攻は北風です。冷たい風を思いっきり旅人に吹きつけ、服を吹き飛ばそうと一生懸命に頑張ります。でも、旅人は背中を丸めながらも歩き続きます。
北風はさらに強く風を吹きますが、旅人は服を抑えて身を守ります。北風がますます風を強めると旅人はさらに服を着込んでしまいました。
北風が疲れ果てて諦めると次は太陽の出番です。太陽は、北風と違って乱暴な方法は使わないと言います。そして、空から穏やかな光を地面に送りました。
旅人は、急に暖かくなってきたので不思議そうに空を見上げながらもぽかぽか陽気に誘われて服を一枚脱ぎました。そして、太陽が力を込めると、野原の草も森の木もぐんぐん葉っぱを広げ、鳥たちも楽しそうに歌い始めます。さらに暑くなったので旅人は服を一枚、また一枚と脱ぎ始め、汗を拭きました。そして、しまいには、服を全部脱ぐと気持ちよさそうに川に飛び込みました。
Pictbook「きたかぜとたいよう」あらすじより引用
北風のように、服を脱がせようとしてどんなに力ずくで風を吹かせてみても、服を脱がせることができないように、自分以外の人を変えようとしてどんなに力説してみたところで人は変わりません。太陽のように、少し離れたところで温かく見守りながら、太陽が太陽らしく心を込め続けることで人の心を動かしていくことができるのかもしれません。それによって人は自ら変わっていくことを選択することがあるかもしれません。