コロナの時に⑬コミュニケーション

私たちは人と理解し合うために、コミュニケーションをします。

コミュニケーションには、言葉で伝え合う「言語」でのコミュニケーションと、「口調・話し方・声のトーン」「表情・仕草・姿勢」などの「非言語」でのコミュニケーションがあります。更に髪型・服装といったことも表現であり、非言語のコミュニケーションに含まれます。

コミュニケーションで伝わることを100%とすると、「言語」ではわずか7%、「非言語」が93%といわれます。更に「非言語」の93%の内、「口調・話し方・声のトーン」は38%、「表情・仕草・姿勢」が55%といわれています。

つまり私たちは、単に会話のことばや文章の文字だけで伝え合っているのではないのです。言葉の字面だけを追っているわけではありません。また 同じ言葉でも、受け手によっては違う言葉に聞こえます。そこにコミュニケーションの難しさがあります。

大活躍のツール

「電話やLINEで話す」「LINE等のメールでやり取りする」など相手の姿が見えないコミュニケーションでも「非言語」の部分が何となく伝わってくることはありますが、「会って話す」に比べると、コミュニケーションの情報量の差で、当然質に違いが出てきます。

では、ビデオでの通話はどうでしょうか。それも場の空気や熱量までは伝わりにくいものです。「会って話す」よりベストなコミュニケーションはないのかもしれません。

時間的に会えない事情がある人と会話ができるという点、コミュニケーションの機会が増えるという点、すぐに簡単にコミュニケーションをとり合える点では、「会って話す」以外の選択肢があることはありがたいことです。特にコロナ禍では大活躍です。

言動は人柄を表す

非言語のコミュニケーションを意識してみると、コミュニケーションには、人柄を知る情報がたくさん詰まっているといえます。コミュニケーションを磨くことは、人間性を磨くことにもなるのではないでしょうか。

言葉での表現には、発する人の人柄が表われます。

更に言葉の先にある行動は最もその人柄を表します。

どんな言葉を遣い、どんな思いでその行動しているかで、その人の人となりがわかります。

言葉と行動、「言っていることと、やっていることが違う」のでは信頼はできません。

言葉は飾ることができますが、行動は言葉より正直です。

特に近しい間柄では、人の目は曇るもののようです。「どんな言動をされても仕方ない」ということはありません。「近しい間柄だから」という特別条件はないのです。

コミュニケーションの第一歩

コミュニケーションの第一歩に、「挨拶」があります。自分から声をかけることは、自分からこころを開き、相手に歩みよるという意味があります。

「おはようございます」「おやすみなさい」「こんにちは」「こんばんは」

「いただきます」「ごちそうさま」「行ってらっしゃい」「行ってきます」

「気をつけて」「おかえりなさい」「お先にどうぞ」「ありがとう」

「ごめんなさい」「お疲れさまです」「お先に失礼します」

また時には、「大丈夫ですか」と声をかけることもあります。

まだ他にもたくさんの挨拶のひとことがあります。

 

短い言葉ですが、相手にダイレクトに自分のこころを伝えられる素晴らしい言葉です。

人からかけられれば誰しも心地よい言葉です。少なくとも挨拶されて怒り出す人はいないでしょう。

伝えることから

普段の生活の中で、挨拶をしたのに相手から挨拶が返ってこない経験をした方があるかもしれません。挨拶が返ってこない人こそ、挨拶が必要な人なのかもしれません。返さなかったのは相手であり、あなたではありません。それなのに嫌な気分にまでさせられることもありません。相手は他のことを考えていたのかもしれませんし、相手には相手の事情があり、挨拶が返せないのでしょう。「挨拶したのに返されなかった」と嫌な気分になるよりも、「そういう時もあるのかもね」と納得すればそれでいいことです。

「挨拶」も、「近しい間柄だから」挨拶しなくてもいいという特別条件はありません。

 

「挨拶」できない心情の時が誰しもあるのかもしれません。非言語の「挨拶」、頭をさげるだけ、ニコッと笑顔を向けるだけでも気持ちは伝わるのではないでしょうか。

子どもの時に遊びに行ったお家の屏風に「言葉の剣が一生の怪我」と書かれていたのを思い出します。

人生には、時に人に優しい言動がとれないような時期があるのかもしれません。

それでも一生の怪我になるような言葉遣いには気をつけたいですね。