はじめてのポストコロナ社会
東京だけではなく全国の感染者数が日に日に多くなり、第二波かも…といわれる日が続いています。まだコロナ禍の中にありながら、ポストコロナ社会は始まっています。コロナ禍が収まってもコロナ前の社会には戻りません。当然私たち個人も、ポストコロナ社会に即した行動の選択へと変わらざるを得なくなりました。天災も多い中、事情によっては大きく転換する選択を即座に迫られる人も多いのではないでしょうか。
コロナ禍の中で行動範囲は狭められることになりましたが、自分のことだけではなく、周りの人のこともより意識され、いろいろな角度から物事をみるきっかけともなり、こころは狭められることなく気づきを得る人も多いのではないでしょうか。
節目を迎えて
人生を航海に例えると、人生の船の舵を取っているのは自分自身ですが、普段はなかなか握っている舵を切ること(方向転換していくこと)はむつかしいことかもしれません。
今までの人生が自分の思っていたのとは、ちょっと違う方向に進んできてしまったかな……と思っていた人には、普段ではないコロナ流行で、舵を切らざるを得なくなった。リセットして、ここから新たに航海を進めていくというチャンスにもなるのではないでしょうか。
シンプルに自分の本音を探り進んでいくしかない時が、コロナ出現によって自然な流れの中で起きた気がします。
誰しもが新しい社会にとまどい予測できないところはありますが、ピンチはチャンスです。「さあ!あなたはどの方向に船を進めていきますか?」しっかり舵を握って前へ進んでいきましょう。
蜘蛛の糸
さて、皆さんは芥川龍之介の「蜘蛛の糸」をご存知でしょうか。
ご存知ない方、昔読んだけど忘れたという方は、下記からご覧ください。
青空文庫 芥川龍之介「蜘蛛の糸」
「蜘蛛の糸」のお話に、あなたはどんな感想をもたれたでしょうか?
我利我利亡者
私たちは自然の摂理の中で生きています。殺生はしてはならない、しかし生存の為に動物を頂きます。私たちはそういった矛盾に満ちた存在です。
かんだたは、まさに我利我利亡者ですが、私にはかんだたがこころのどこかでひどい奴だとは言いきれないのは、ともすれば『我利我利』(がりがり=自分の利益ばかりで他の人を顧みないこと)に陥ってしまうことのある自分を全く否定はできないからかもしれません。
すこし止まって考えればわかることかも
ややもすれば『我利我利』の方向へいってしまいそうなこころを持った人間です。
自分を省みることができると、謙虚さが生まれると思います。
自分を省みることは案外勇気がいることとも思います。
謙虚であろうとするこころの在り方は、たいせつな気づきを得る種になるのではないでしょうか。
希望をもって
ポストコロナ社会が、誰もが『自利利他』(じりりた=自分が幸せになることは人を幸せにすることであり、人を幸せにすることは自分の幸せになる)のこころで生きようとする社会、想像力を持てる社会であることを願っています。我利我利はいけないことと肝に銘じておきたいです。
そして「助けて!」と言える社会。「助けて!」との声を聞けば、誰もが「助けようとする」社会でありますように。