頑張るということ

子どもの頃の記憶…

かくれんぼ。鬼に見つからないように、ドキドキしながら隠れるところを探してた…

砂場での山づくり。周りを固めてしっかり作った山に、崩れないようにと掘り進めてトンネルを通した…

虫捕り。バッタ、カマキリ、セミを捕まえようと、逃げられないようにそっと近づいてパッと山型にした手のひらをすばやくかぶせる…セミには逃げられないタイミングで網をかぶせる…

シャボン玉。シャボン玉の中に見える虹。大きく膨らませようとそうっと吹いていた…

 

どうやったらうまくいくか…ドキドキわくわくしながら、子どもなりに考えながら一所懸命に頑張っていた記憶はありませんか?

 

おとなになった今も、どの人もずっと頑張って生きてきているのではないでしょうか。

私は、自分のエネルギーを最大限に使って努力して生きることはたいせつだと思っています。それを頑張ると表現するのなら、頑張ることはたいせつです。

 

頑張るという言葉の語源は「我を張る」で自己中心的になるということ、自分を通すということ。眼張るとも言われています。

うまくいかないのは何故?

頑張っても、頑張ってもうまくいかないのは何故でしょうか?

幸せだとは思えないのでしょうか。こころが満たされないのでしょうか。

頑張っては、まだもっともっととまた頑張る…

自分の精神的な疲労、しんどさに気づけないほど頑張って疲れきってしまう。

頑張り過ぎた結果、うつ病になったり、引きこもりになったり、場合によっては死にたくなったりすることもあるかもしれません。

 

頑張り過ぎたら、こころもからだもパタンと倒れた状態になって、立ち上がりにくくなるのは当然です。頑張り過ぎたからです。

自分の気持ちをよく知る

では、何故頑張り過ぎるほど、頑張ってしまうのでしょうか?

 

ひとつは、ネガティブなエネルギーに支配されてしまうからだと思います。人は成長する過程で、いろいろな人と出会い、いろいろな体験をします。どの人にもポジティブな体験もあれば、ネガティブな体験もあるでしょう。

 

ネガティブな体験、例えば総意ではない「あなたは○○」といったこころ無い人のことばによって傷つき、自己否定されるような体験を重ねていれば、いつの間にか「自分はダメな人間だ」と信念となるほどに、思い込んでしまう場合があります。自信を失くしていき、自己肯定感が低くなり、ネガティブな感情を取り込んでは、今のままの自分ではダメだと、自分にダメ出しばかりしてしまいます。人から与えられた価値観に振り回されます。~でなければならない、~であるべきといった思考になり、悩みの元ができてしまいます。思い込みに隠れてしまって、自分の気持ちがわからなくなっていくかもしれません。

自分の価値観で生きる

もうひとつは、人の価値観に支配されている為に、努力する方向が違うからだと思います。間違っているというのではなくて、あなたの頑張りが、自分がこころから望むもの、自分がこころからほしいと思うものを目指す方向には頑張れてないのではないでしょうか。

それはやりたいことを見つけることには限りません。もっとささやかな望みかもしれません。例えば「こころ穏やかな日常を過ごしたい」といったことです。

 

もし、しんどいな…何か違うかもしれない…と少しでも気づいたなら、

自分のこころにふれていくことです。

○○だからできない…という制限がないとしたら、

「どうしたいの?」と問いかけてみてください。

ノートにほしいものリストを書いていくのもひとつの方法です。あなたのほしいものをことばにしてみてください。

まず望まないことは、いつまでたっても実現しようがありません。

 

こころからの

あなたの望みは何ですか?

あなたは何がほしいですか?

頑張るということ

インドの民話に、次のような話があります。

 

99頭の牛を持っているある大金持ちが「あと1頭手に入れれば、切りのいい100頭になる」と考えました。

1頭の牛でつつましやかに暮らしている幼なじみを訪ねていきます。大金持ちであるにもかかわらず、みすぼらしい服に身包み、わざと貧乏を装います。そして、大金持ちは「おまえは1頭の牛を飼って立派に生活しているが、私は落ちぶれて、子どもたちに満足な食事を与えることもできない。助けてほしい」と懇願します。

大金持ちは牛1頭がほしいがために、幼なじみに大嘘をつくのです。

泣きつかれた貧しい人は「私はこの牛がいなくても、妻とちからを合わせればなんとかなる。どうか子どもにミルクでも飲ませてあげてほしい」と、牛を差し出します。

その夜大金持ちは、「牛が100頭になった」とよろこんで眠りにつきます。

一方、幼なじみもその夜、「友だちを助けた」とよろこんで眠りにつきます。

さて「どちらのよろこびが本物でしょうか?」というのがこの民話の終わりのことばです。

翌朝目ざめれば、大金持ちは「牛を150頭手に入れることを目指すでしょうか。

貧しい友人は、翌朝もこころが豊かに一日の始まりを迎えるでしょうか。

もっともっとのこころでは、ほしいものに行きつきません。

何故ならほしいものではないからです。

ほしいものでないから、いくら手にすることができても、「これでいい」とこころが満たされることがないのです。

 

頑張るってシンプルなことです。頑張り過ぎず、自分がこころからほしいものを得るために努力することではないでしょうか。